生徒にレッスンをしていて、気づいたことががある。
どうも「うまくいかない」「よくならない」という人たちに、
ある共通項があることを。
練習が足りないのではない。
レッスンでは皆、同じことをやっている。
一体何が足りないだろうか。
「勉強法」と「考え方」が足りないのである。
芝居というものは、数字で結果がわかるものではなく、
(お客を呼べるという数字はあるが)
人の気持ちのさじ加減で評価されることも多い。
そして確固たる正解がない。
ここが「うまくいかない人」を量産することになる。
逆に「うまくいっている人たち」は「うまくいってない人」の原因が全くわからない。
ここの差をどう埋めるのか。
私の学生時代の恩師は「お芝居という世界は圧倒的に不公平だ」と言っていた。
もちろん「できる人たち」が圧倒的に有利であることは確かだ。
しかし、
しかしだ。
「できる」と「できない」の差を限りなく埋めるということはできるのではないかと思う。
ある一定の技術力をつけるという意味で。
お芝居は誰がやってもいい。
本来ならば誰も役者の技量を否定することはできない。
だが、プロフェッショナルや商業といった視点からすると別である。
金銭が発生することにより対価を求められるからだ。
その対価とは何か。
集客か、技術力か。
それとも人間的魅力なのか。
ケースバイケースだけれど、何かしら「与えなければならない」のである。
昨年から「声優になりたい」という相談をたくさんいただく。
その度に、私は意地悪だけれどもこう言わせてもらう。
「同人でやればいいじゃない。すぐにでも声優になれるよ」と。
逆に「声優になります」と言い切った人には、
私の持っている技術や心得はいくらでもサポートします。
「自分じゃない人間になれるから芝居が好きだ」という人がいる。
かつても私もそうだった。
が、
そういう人の芝居はだいたい魅力がない。
どんなセリフを借りようが、
どんなキャラクターを借りようが、
自分は消せない。
よくある「自分を出せ!」と言われる人、そういうことですよ。
自分を愛せない人が、人の人生を生きたところで面白いわけないでしょうが。
鏡の法則という言葉をご存知だろうか。
今、見えている世界は全て「自分の現在の状態の鏡」です。
0コメント