巷で話題のしいたけ占いって知ってますか?
ヘアサロンのお姉さんに教えてもらってから、ちょくちょくチェックするようになりました。占いをめっちゃ信じている、というわけではないのですが、なんとなーく私の心の軸にエッセンスとして放り込む感じです。
自分のことも含めて、今日は長文。
声優のオーディションって、
テープオーディションと、スタジオオーディションというのがあるんですけど、
テープオーディションの方が私は圧倒的に多いです。
テープオーディションって、誰と競合してるのかわからない。そこも不安になるし、その精神状態で「落ちました」連絡がくると凹むのです。
でも、数をこなしてくると、「落ちました」もイメージが合わなかっただけなんだな、と自分の解釈で納得していたりしたんですけど。
いや、それ、ちょっと違うかも
と思うようになりました。
ちゃんと向かい合ってるかな。
きちんと自分と役に向かいあってるかな。
浅いところでなんとかしようとしてないかな。
これは明らかに見抜かれる。
先日。レッスンにて、
雑念を忘れるほど繰り返しやれ、というのが、とても心にささり。
あ、それだ、そういうことだ。
学生の時はとにかくとにかくセリフをつぶやいていた。
身体の中に落とし込まなくっちゃ。
体に落とし込む感覚を少し忘れてきてるんだけども。こまった。
でも、ニコルちゃんのオーディションの時は、身体の中に落とし込まれてた感覚あったんだよなー。
もっともっと役に近づけ私よ。
頻出で、恐縮ですが、
オカンが亡くなってからというもの、
子役時代からオカンと駆け抜けてきた人生が、私の中に消えてなくなりました。
燃え尽き症候群というわけではないけれど、なんのために今、この仕事をやってるかがわからなくなりました。楽しいからやるのは、もちろんなんですが……
今までがオカンが喜ぶような仕事をしたいと、褒めて欲しいからと頑張り続けていたところもあります。そして、上京する私に、前の事務所を離れた時に、「声優で生き残れるわけがない」と辛辣な言葉を浴びせてきた人たちに、その考えを覆したいという若干マイナスな気持ちもあったりします。その鎖が外れるのはまだ少し先かもしれないなと思います。
その鎖がはずれたとき、
私はどうなるんだろう。
私にとってお芝居は、
自分を忘れられたまま生きられる方法であり、無我のまま他人になれる方法であり、
それが別の視点で物事を言うと、個性がわかりづらいということにもなるのでしょうが。
自分を忘れられたまま生きたいという欲求があり、それが結果自己防衛だったと今になれば分かるのですが。
なぜそんなことを思ったかというと、小中高でそこそこひどいイジメを受けていたからです。
田舎の小娘が、ただ運動神経と歌がうまいたけで、東京のミュージカルに出るようになってしまったこと。
それが妬みの対象になったこと、ちょっとした有名人になってしまったので、変な友達が近づいてきたこと。
意見をバシバシ出す人間だったから疎まれたこと。ちょっと当時としては異端だったのです。
で、話を戻しましょうね。
というわけで、ちゃんと身体が嘘ついてないところまでもっていけるように、セリフ練習繰り返します。
ミルノ(*´ー`*)
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